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Last Film Show エンドロールのつづき

インド映画 (2021)

この映画は、監督・脚本・製作(12人のうちの1人)のパン・ナリン(Pan Nalin)の半自伝的な内容。https://www.ecfaweb.org/wp-content/uploads/2021/10/ Interview-Last-Film-Show.pdf のインタビューの中で、「私は映画と出逢う前から、“光” は魔法のようなものだと感じていました」、「サマイと彼の仲間の冒険は、部分的に自伝です」、「私が育った場所には、何もない広い野原と、開けた空しかありませんでした。列車を除けば、はるか上空を飛ぶ飛行機だけが外の世界とのつながりでした」、「私の母も料理が上手でした。映画の中の料理は、まさに母のメニューです」、「父は、土地、牛の群れ、最後には家まで兄達に掠め取られ、彼に残されたのは。誰も行かないような辺ぴな鉄道駅の小さなチャイのスタンドでした」、「私は8歳になるまで映画を観たことがありませんでした」と述べている。は、映画の中でサマイが2度映画館に行く時、常に光に魅力を感じ、その後も事あるごとに光に強い関心を持つところとそっくり。は、サマイと仲間が、映画のフィルムの1コマを何とか布に映そうとし、次には、倉庫から盗んできたフィルムを何とか見れるように様々な工夫を凝らすシーンに生かされている。は、映画の冒頭、サマイが線路の近くの野原に横たわると、はるか高くを飛行機が飛んで行くシーンで、そのまま映像化されている。は、サマイと映画館の映写技師ファザールとの間を結んだのが、マサイの母が学校用に作る豪華な弁当という点に、密接に絡んでいる。しかも、映画の中で、料理番組のように、美味しそうな料理を作る過程が何度も映される。は、父が、鉄道の全面的改良工事によって将来職を失うと告げられた際、「彼は何て不幸な男だろう。かつては500頭の牛を飼っていた。彼の兄たちは、彼を騙し、すべて盗んだ。だから、その後、彼はチャイを売り始めた」というヒソヒソ話の中で、そのまま使われている〔盗んだ伯父達へのパン・ナリンの復讐?〕は、サマイが9歳にして初めて宗教映画を観せに連れて行かれる。実際になかったことは、❶9歳の子には不可能と思われる点、(a)カメラ・オブスクラの原理の自己発見、(b)24コマ撮りの静止画像を連続して映すための “毎秒24回の間欠運動” を、廃棄物置き場の品だけで作ったこと、などであろう。それに、盗んだフィルムも多過ぎる。❷都会にあるギャラクシー座に通い詰めるシーンと、映画館のデジタル化のもたらす悲劇を描くシーン。ところで、この映画で一番素晴らしい場面は、サマイが映写機にキスするシーン。女の子にキスするシーンはどこにでもあるが、感動して映写機にキスするシーンは、真に映画を愛する監督だからこそ思いついたのであろう。この映画は、コロナ禍もあり、インドで公開されたのは2022年10月14日。2023年のアカデミー外国語映画賞のインド公式エントリー作品でもある。日本公開は2023年1月20日。この映画紹介で気に入った人は、是非とも映画館に足を運ばれたい。

サマイ役はバーヴィン・ラバリ(Bhavin Rabari)。監督がグジャラート州の生まれなので、グジャラート州のラバリ部族のバーヴィンが3000人の中から選ばれたことは、どこにでも書いてある。ただし、生まれた年に関する情報は、元を辿れば〔引用につぐ引用で〕、2つしかない。1つは。上で言及した監督インタビューの中で、「Playing Samay, for a nine year old kid who has rarely been to the movies, was a challenge(映画などほとんど観たことがない9歳の子にとって、サマイを演じるのはチャレンジだった)」と述べていること。もう1つは、「SAVEDAUGHTERS」というサイトに、彼の家族構成まで詳しく書かれているが、そこに、2010年7月10日生まれと書いてあること。映画の撮影は2020年3月なので、両方とも9歳を指しているので、正しいであろう。映画とほとんど縁のない9歳の少年にとって、主演を演じることは大変だったと思うが、監督の指導がよほど上手だったのか〔何せ、自分の半自伝なので、サマイは自分でもある〕、十分満足できる演技になっている。

あらすじ

映画はインドの西端(南北では中央部)にあるグジャラート(Gujarat)州を舞台にしていて、話される言葉もグジャラート語。時代設定は2010年。その南部のサウラシュトラ(Saurashtra)という地方の田舎のど真ん中にあるチャラーラ(Chalala)という村の外れを通る単線の鉄道レールの間を9歳の少年サマイが歩いている(1枚目の写真)。彼は、レールの上に長い釘を4本並べる(2枚目の写真)。そして、近くの草むらに横になり、ひたすら列車が来るのを待っている。かなりの時間が流れ、遥か上空を1機の飛行機が飛んで行く【解説の③】。ようやく列車の音が聞こえている。サマイは、レールの近くまで駆け寄り、列車が去ると、まだ熱い “平らにひしゃげた釘” を拾うと、持って来た細い木の棒の先端に紐で縛り付ける。棒は4本、釘も4個あるので、これで矢が4本できる(3枚目の写真)。サマイは、レールの中央に立つと、線路の先に向かって矢を放つ〔彼が映画に出会うまでの、日常の遊び方を示している〕

日干し煉瓦で出来た侘しく小さな小屋では、質素な服を着たサマイの母が、お出かけ用の服を用意している。それを見たサマイは、「何が起きてるの?」と驚く。上下白の、もっと簡素な服を着た父は、「街に行くぞ」と言う(1枚目の写真)。「映画を観に行く」。「でも、父ちゃん 映画きらいだから、ぼく、5歳のときから映画に行ったことないよ」。「いいか、この映画を観たら、お前が他のを観ることは二度とない」(2枚目の写真)「前に言ったと思うが、映画を観ることは、私たちには望ましいことではない」【解説の⑥】。「じゃあ、なぜ行くの?」。「今回は違う。女神マハカリの宗教映画だ」。一家4人は列車に乗り、アムレリ(Amreli)〔2011年の人口が10万人ほどの市/チャラーラの北北東約10キロ〕まで行く(3枚目の写真、矢印はサマイ、左が父、右が母と妹)。

父が連れて行った先は、「ギャラクシー(銀河)」という英語名の映画館。切符売り場は超混雑。満席になる直前に幸い切符が購入でき、指定された番号の席に座る。そして、館内が暗くなり、映画が始まる。典型的な歌と集団ダンスのインド映画だ(1枚目の写真)。サマイは、映画そのものよりも、小窓の奥の映写機から溢れ出て来る強い光に興味を持ってじっと見ている(2・3枚目の写真、目の方向が観客と逆)【解説の①】。そして、帰りの列車の3等車の垂直の木のイスに座ったサマイは、「マヌー〔友達の1人〕は、駅長になりたがってる。S.T.〔別の友達〕はエンジニアに。ぼくは、映画を作りたい」と言う。それを聞いた父は、「黙れ。二度と言うな。バラモンがそんな恐ろしい仕事をするなんて聞いたことがない。映画の世界は腐ってて、純粋じゃない。コミュニティで面目丸潰れだ」と 強い拒否反応。これに対し、サマイは、「面目? 父ちゃんが今してることは? チャイ〔インド式ミルクティー〕を売って、コップを洗うことはどうなの?」と批判し(4枚目の写真)、駅で列車の客にチャイを売る時の声で 「チャイだよ」とふざけ、母に頭を叩かれ 「何てこと言うの」と叱られる。サマイは、もっと大きな声で、「チャイだよ!」と言い、父が 「そこまでだ」と強い口調で止める〔2007年5月11日付けの Hindustan Times の記事によれば、インド古来のカースト制度の頂点にあるバラモンについて、「全バラモンの55%が貧困ライン以下」と書かれている。例として、①デリーにある50の公衆トイレすべてがバラモンによって掃除されている。②デリーのパテルナガル地区(高級地区)の人力車の引き手の50%はバラモン。南部のアーンドラ・プラデーシュ州の家事手伝いや料理人の 75%。だから、サマイの父がバラモンでありながら、田舎の駅のプラットホームでチャイ売りでも不思議はない〕

光の魅力に惹かれたサマイは、赤、青、黄の割れたガラスを持って来て、ほとんど列車の通らない線路に並べ、場所を変えて透過してくる色の見え方を比べて楽しんでいる【解説の①】。それも飽きて来ると、ガラスを線路脇に捨て(1枚目の写真)、帰る途中で、線路に落ちていたマッチ箱の絵を拾う。列車の近づく音が聞こえたので、父のチャイの手伝いに間に合うよう全速で走る。列車がホームに入って来た時、何とか父の店に辿り着く(2枚目の写真)。父は 「相変わらず遅いな。いつも時間を無駄にして」と嫌味を言い、「お前は、私みたいになりたいのか? ほら仕事だ」と言って、チャイの入ったヤカンと、6つのコップの入ったスタンドを渡す。サマイは、到着した列車に向かって走って行くと、「熱いチャイだよ」と言いながら歩くと、たまに買ってくれる人がいる(3枚目の写真、矢印)。列車が出て行くと、ウエハスのパックを10ルピー〔当時の約38円〕で売っていた子と、売り上げを比べる。2人とも30ルピー〔115円。1日に何本列車は停まるかわからないような駅で、これだけの収入しかなくて、どうやって暮らしていけるのだろう?〕

そのあと、仲間の子供達の前で、サマイが拾ったマッチ箱数十個を石の舗石の上に袋からあける。そして、その中から、戦闘機の絵のマッチ箱を取って、「飛行機が飛んでて…」と言って端に置く。次に、マリーゴールドの花の絵のマッチ箱を掴むと、「ひまわり畑に着陸したんだ」と言う。そして、「気球売りが飛行機に乗ろうとしたら…」と、落下傘のマッチ箱をひまわりの横に置くが、「突風が吹いて、倒しちゃった」と付け加え、「飛行機は王様のものだった」と言い(1枚目の写真、矢印は上半身裸の男のマッチ)、それを落下傘の左に置く。「彼はいっぱい持ってたんだ。ジープ、銃、剣・・・」、ここで、3つのマッチ箱を置く。「それに、3人の娼婦までいた。最初の女性はグラーナ、2人目はメニカ」(2枚目の写真)、「3人目がピアナ」(3枚目の写真、矢印はピアナと名付けた女性)。

夜になり、母の作った多様な料理を食べながら、失敗者の父は、サマイに、「お前の長い髪、切れ」と言う。サマイは、「なんで、いつも文句つけるの?」と反撥する。話は、それで終わり。そして、翌朝、母は、サナイの円筒形の弁当箱においしそうな料理を入れ、蓋を締めると、箱の周りを細い葉付きダイコンで巻き、白い布を被せて薄いチャパティを数枚置いて布でくるみ、その上から、オクラとトウガラシ(?)を乗せ、それを赤と橙色の布で包む。これが、毎日、サマイに持たせる学校用の弁当で、毎日メニューががらりと変わる。サマイは弁当をもらうと、朝1本しかない列車に遅れまいと駅に向かって走る。母は、その背に向かって、「遊んでないで、すぐ帰って来なさい!」と声をかける。駅では、いつもサマイと遊んでいる少年達が、列車に乗り込む(1枚目の写真、矢印はサマイ)。サマイは、座席の下に落ちていた空きビンを拾うと、緑色の歪曲したガラスを通して、いつもとは違ってみえる窓の外の風景を楽しんでいる(2枚目の写真)【解説の①】。学校のあるアムレリの駅に列車が着くと、全員が走って駅の外に停めてある自転車に向かって走る。そして、各自の自転車に乗ると(3枚目の写真、矢印はサマイ)、学校に向かう。授業の1コマ。①サウラシュトラ(Saurashtra)の別名は2つあり、1つはソラス(Sorath)、もう1つはカーティアワール(Kathiawar)〔カーティアワールは半島名〕。②ここは、ライオンと牛だけで有名ではない、偉大な人達が生まれた。そして、「誰か一人挙げて」と生徒達に訊くと、「ガンジー」という答えが返って来る〔彼は カーティアワール半島の西岸の都市ポルバンダル(Porbandar)で生まれた〕。教師は、ガンジーの非暴力について説くが、サマイは、外の光を見つめている(4枚目の写真)。

恐らく翌日、学校から帰った後、サマイは チャイ売りの仕事をこなし、売上金の55ルピーを木のレジ箱に入れる。その時に、こっそり、お札の1枚を箱の外に出るようにして蓋をする。そして、父が、信号係と話している間に、そのお札を抜き取る(1枚目の写真)。翌日、学校に行ったサマイは、授業中にこっそり抜け出し(2枚目の写真)、自転車で学校を出ると、同じ町にある映画館に行き、「暴力団」という映画の券を買う。そして、ギャング同士の荒っぽい抗争劇を楽しそうに観る(3枚目の写真)。しかし、観終わってアムレリ駅に行くと、ちょうど列車が出たところ。ホームまで走って行ったサマイは、悔しそうに遠ざかって行く列車を見ている(4枚目の写真、矢印)。

サマイが暗くなっても家に帰って来ないので、両親は警察に行く。そして、最後の列車で帰ってきた生徒2人を呼び出してもらい、母が 「サマイは学校にいた?」と訊く。2人の返事は、「うん」と「ううん」に分かれる(1枚目の写真)。今度は父が、怒鳴るように、「いたのか、いなかったのか?!」と訊く。今度も分かれる〔最初は学校にいて、途中でいなくなったので、この質問の仕方では どちらも正しい〕。電話を取っていた警官が父を黙らせて、「ええ、彼の名前はサマイです」と言い、電話を切った後、両親の前に来ると、「心配ない。彼はアムレリ駅のベンチで寝ています」と話す。そして、ベンチで寝ているサマイが映る(2枚目の写真)。翌朝、列車がホームに着くのを、父が、棒を持って待っている。それを見た5人の子供達は、「サマイのお尻は一生真っ赤だな」と笑う。サマイは、列車から下りて、そこに父が棒を持って立っているのを見ると(3枚目の写真、矢印は棒)、リュックを捨ててレールに沿って逃げ出す。父は、その後を追い、子供達も 「ショータイムだ!」と言って走ってついて行く。父は、「走るな! 止まれ! 警告したぞ!」と叫ぶが、サマイは走るのを止めない。

次の短いシーンは、再び学校。最初の授業が終わった後、サマイを呼び止めた教師は、右腕を見て、「その いっぱいあるあざは何だ?」と訊く。「父ちゃんに叩かれました。映画を観に行ったから」〔結局、家には戻らないわけにはいかないので、その時は逃げられても、後で叩かれた〕。教師は、何も追わずにサマイを教室から出て行かせる。そして、朝。母とサマイと妹が 家の入口のチッチンで楽しそうにしていると、そこに、父が自転車に乗ってやってきて、手に持ったポスターを家の壁にピンで止める。ポスターは一番上の標題だけ大きな字で書かれている。「AN IDEAL BOY(理想的な少年)」(1枚目の写真)。左上から順に、①朝早く起きる、②両親に挨拶する、③朝の散歩に行く、④歯を磨く、⑤毎日体を洗う〔風呂ではなく、バケツの湯か水で〕、⑥神に祈る、⑦学校に行き、しっかり勉強する、⑧時間通りに食事を取る、⑨他人を助ける〔老人が横断歩道を渡るのを助けている〕、⑩ゲームに参加する〔男女で楽しくバレーボール〕、⑪N.C.C.(インド軍青年部門)に入る。⑫社会活動に携わる〔文盲の人たちに字を教えている〕。小さな字が読めたのは、同じポスターが今でも出回っているから(https://www.red
bubble.com/i/poster/
)。サマイは、嫌な顔をして それを見ている(2枚目の写真)。そして、父がいなくなると、すぐにポスターを引っ張って取ると、くしゃくしゃにする(3枚目の写真、矢印)。

サマイは、学校に行くフリをして列車に乗ると、直接映画館に行く。そして、鉄の門扉を乗り越えると(1枚目の写真)、入場料を払った人だけが入れる通路を姿勢を低くして通り抜け、2階まで行く(2枚目の写真、矢印)。そして、空いた席に映画の途中から入って勝手に座り、『Jodhaa Akbar』(2008)を観始める。最初は熱心に映像を見ていたが、立ち上がると、光が出て来る小窓に目を向け、今度は、その光の中に手を入れ、指の間から漏れる光に見とれる(3枚目の写真)【解説の①】。しかし、この行為は、映像に乱れを生じさせ、通報で駆け付けた係員がサマイの体をひっつかむと、「このたかり屋のガキめ」と言いながら、階段を下りて行き(4枚目の写真)、「失せろ! 二度と来るな!」と、放り出される。

サマイが、捨てられたリュックの中のお弁当の布を解き、中の少し破れたチャパティを見ていると(1枚目の写真)、すぐ後ろに座った男が、「何て素敵なチャパティなんだ!」とびっくりする。「俺の妻は、それを厚くしか作れないんだ。毛布を食べるみたいなもんさ」。「ぼくの母ちゃんは、すごく薄く作るんだ。世界一のコックだよ。いくつか欲しい? ぼく もう食べる気になれない」。男は、弁当を全部もらう。そして、蓋を開け、チャパティをちぎって中身をつまんで口に入れると、満足そうなため息を漏らす。そして、どんどん食べる(2枚目の写真)。そして、最後は、目を閉じて味わうと、「何てご馳走なんだ!」と感嘆する。そして、「毎日、こんなモン食べるのか?」と訊く。サマイは、返事もせず、ひたすら悲しんでいる。「なんで、そんなに悲しむ? どうしたんだ?」。「立入禁止にされた。あいつ、ぼくを放り出したんだ」(3枚目の写真)。男は、弁当を返すと、笑いながら 「一緒に来いよ」と言う【解説の④】

男は、再び階段を上がると、観客席とは違う方に入って行く。そこは、映写機の置いてある部屋だった。すべてが珍しく、サマイは、さっそく、机の上に置いてあった切断されたフィルムを手に取って見てみる(1枚目の写真)。サマイがいろいろなものを勝手に触っていると、「おい、触るんじゃない」と叱られる。男は、4本足のイスに手を置き、「ここに座るんだ」と言い、さらに、「お前さんは、ここから映画が観れる」と言って、チェック用の小さな窓の板を外す。サマイは、あまりのことに大喜びで、窓から映画に見入る(2枚目の写真)。そして、「タダで?」と訊く。男は、「取引だぞ。平安を〔サラム・アライクム〕。俺はファザールだ」。「ぼく、サマイ」。「サマイ? 時間って意味だな? どうしてだ?」。「ぼくの両親には 何もなかった。仕事も、お金も、行くトコも。あったのは時間(サマイ)だけ。だから、ぼくができた。そして、ぼくが産まれたとき、サマイ(時間)って名付けたんだ」(3枚目の写真)。

翌朝の母の料理も手が込んでいる。4種類の野菜を石臼ですり潰し、それを大量の油で炒め、それをナス6個の中に詰め、残ったすり潰し野菜と一緒に炒め、その上にカットしたトマトを数個分入れてさらに炒め、その上に香草を撒き散らしたものが、1枚目の写真。サマイは、いつもより熱心に弁当を要求し、学校に行くと見せかけて映画館に直行。入口で待っていたファザールが最初にやったことは、弁当を取り上げること(2枚目の写真、矢印)。映写室に入ると、さっそく小さな窓が開けられ、サマイはその前で映画を堪能。ファザールはナスの肉詰めを堪能する(3枚目の写真)。食べた後、何度も指をしゃぶるので、余程味がお気に召している【解説の④】。映画は、古代の競技場での象との戦いのあと、カンフー、コミカル、バイク競争など様々だ〔1日中、映画ばかり〕

この後、初めて、サマイが映画の技術に挑戦する場面が入る。友達Aに自転車のハンドルの金属部分だけ持たせて地面の上に立たせる。そして、自分ともう2人の友達BとCが葉の付いた枝を持って左から右に走るよう、“監督” のサマイが横で指示する。それを横長のスコープサイズの紙の箱から2人の女の子が覗いている(1枚目の写真、矢印は紙の箱)。すると、紙の箱から見る映像は、自転車に乗ったAが実際に走っているように見える(2枚目の写真)【解説の②】。ごく原始的なトリックだが、これを自分で思いつき、実行してみるのは凄い。次の2枚は、映画の内容とは直接関係ないが、サマイを含めた6人のチームが、野原に行って、以前教師が言っていたサウラシュトラで有名なライオンの群れを観察するシーン(3・4枚目の写真)。珍しいので、敢えて紹介した。

次の朝の料理は、オクラがメイン(1枚目の写真)。母は、弁当を渡す時に、「あなた、オクラ嫌いでしょ? なぜ、入れるように頼んだの?」と訊く。「すごく好きになったから」。サマイがいなくなると、母は、後ろ姿に向かって、「嘘つきね」と、聞こえないように言う。そして、映写室で、サマイは映画を観ながら、ファザールに、「ホント言うと、ぼく、オクラ大嫌い」と言う。ファザールは、弁当を食べながら、「俺の大好きな食べ物を持ってきてくれたのに、冗談だろ? 白人が何て呼ぶか知ってるか?」【解説の④】。サマイは、首を横に振る。「レディフィンガーだ」(2枚目の写真、矢印)。映画が一段落すると、サマイは、ゴミ箱に、映画の冒頭の何も映ってないフィルムが大量に捨ててあるのに気付く。サマイはどんなものがあるのか見てみる(3枚目の写真)。そして、映像が10数枚付いた部分を探し出すと、こっそりもらって、帰りの列車の中で見てみる(4枚目の写真)。そして、家に帰ると、それを1コマずつハサミで切る。それは、有名な俳優のシャー・ルク・カーン(Shah Rukh Khan)のシーンだった。

次の映画は、題名は不明だが、今年10月21日に日本公開された『RRR』のような血まみれのアクション大作。そこで、顔を流れる地で赤く染めたターバン男が、「バドシャー! 俺を撃て! 銃弾の海を見せろ! お前の弾丸で俺の胸を貫け! 俺の愛は常に勝つ!」と叫ぶ。映写室では、ファザールが俳優の真似をし、「サマイ! 俺に食べ物を見せろ! お前の母ちゃんの料理を俺の前に置け! その素敵なチャパティ、大根、たまねぎ、キュウリ…」と言い、ここで、サマイが後を受けて、大人のように低い声で、「俺の胸を突き刺せ!」と言い、最後は、ファザールとサマイで、「俺の愛は常に勝つ!」と、映画と同じ台詞を言って、手を取り合う。そのあと、ファザールは、「今日は、一緒に食べよう」と言い出す。「映画は観せてくれるの?」。「もちろん」。「ホントのトコ、ぼく腹ペコなんだ」。食事が終わった後、ファザールは、カットしたフィルムをスプライサーでつなぐところを実演してみせる(1枚目の写真)。そのあと、ファザールの指示で、サマイも スプライサーを使って、2本のフィルムの接合をさせてもらえる(2枚目の写真、矢印はスプライサー)。さらに、映写機のリールにフィルムを巻いていくところを見せてもらい、その後の手動回転をやらせてもらい、笑顔がこぼれる(3枚目の写真)。フィルムが巻き付いた重いリールを映写機まで運んだり(4枚目の写真)、映写済みのフィルムを逆戻しする作業もさせてもらえる(5枚目の写真)。まるで、下働きのようだが、サマイにとっては楽しい経験以外の何物でもない。これらの “教育” は、2人の着ている物が違うので、何日にも渡って行われた。

サマイは、ファザールに代わって、映写機のマガジンにフィルムの入ったリールを入れ、フィルムの先端を持って映写機の中の複雑な部品の間を通し、映写できるよう装填することもできるようになっている〔かなり大変な作業〕。そして、作業をしながら、ファザールに、「映画ってどうやって作られるの?」と質問する(1枚目の写真)。そうした知識など全くないファザールは、皮肉を混じえて答える。「嘘をつくためさ。作り話と映画とは長い付き合いがある。政治家は票を得るために嘘をつく。セールスマンは、品物を売るために嘘をつく。金持ちは資産を隠すために嘘をつく。未来は、こうした嘘つきどもによって決まる。映画は、嘘の塊だ。嘘をつく方法を知らないと」。それを聞いたサマイは、「ホントのこと言うと、ぼく嘘つくのが得意なんだ」と笑顔で言い、それを聞いたファザールが笑う。ここで、短いがインド映画らしいダンス・シーンがある。フィルムのリールを持ったサマイが、そして、2台の映写機の間でサマイが、現代的に踊る。最後は、ファザールも踊りに加わる。フィルムが映写機の中を走り始めると、『2001年宇宙の旅』のオープニングの「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れ、そのあと、サマイの顔が写る(4枚目の写真)。これは、『2001年宇宙の旅』の残り3分の1の「木星と無限の彼方」の冒頭に映る、宇宙飛行士の顔(5枚目の写真)を模したものだ。

帰りの列車の中でも、サマイは、光を見ながら考える(1枚目の写真)。そして、ある日、仲間と一緒に思い付きを実行する。車両の窓の木のブラインドを下げて車内を真っ暗にする。そして、サマイが一箇所だけ布で覆って小さな隙間から太陽の光を入れる(2枚目の写真)。すると、車内の覆った窓と木の壁に、窓の外の景色が上下逆さまに映る(3枚目の写真、Ⓐは森、Ⓑは雲)。いわゆる、「カメラ・オブスクラの原理」だ【解説の①】

久し振りに行った学校で、理科の教材室で光りと遊んでいるサマイは、教師に、「先生、ぼく映画になりたい」と言う。教師は、文法の間違いを指摘する。「違う、『になりたい』じゃない。『を作りたい』だ」。「ぼくの父ちゃんは、そんなことできないと言います。バラモンは映画を作るべきじゃないって。映画の世界はおぞましいから」。教師は、「いいかい、サマイ。2010年のインドには、2つのカーストしかない」(1枚目の写真)。「2つ?」。「そうだ。1つは、英語を話せる人たち。もう1つは、英語を話せない人たちだ。もし君が、私たちの国で何かを達成したいのなら、すべきことは2つ。第一は英語を学ぶこと」。「2つ目は?」。「さっさとチャラーラから出て行くんだ」。「出て行くの?」。「そうだ。出て行き、学べ」。野原に立って考えたサマイは、チャイを売った後、ヤカンとコップを持ってスタンドに行き、父に訊いてみる。「父ちゃん、質問してもいい?」。父の返事は、「ダメだ」。それでも、サマイは質問する。「ぼくたち、いつかチャラーラから出られると思う?」(2枚目の写真)。父は返事もせず無視する。サマイは、ヤカンとコップを持ったまま 走り出した列車の方に行き、列車に乗って出て行きたいという思いを込めて 去って行く列車を悲しそうに見送る(3枚目の写真)。

ある日、母と妹が家の前で髪の毛を整えてもらっている。サマイは、2人の間を走って通り抜けようとして、妹が持っていた小さな6角形の鏡に触れて地面に飛ばしてしまう。妹に、「目がついてるの?」と言われて、それに気付いたサマイは、鏡を拾い、反射光で母の顔を照らし(1枚目の写真)【解説の①】、睨まれる。次のシーンでは、映写室で、こっそりフィルムの1コマを切り取り、ポケットに入れる(2枚目の写真、矢印)〔全部異なる何枚ものフィルム〕。サマイは、仲間と一緒に行動を起こす。1人が、列車の天井にはめられていた小型の電球を外す。そして、みんなで廃墟になった村に行き、そこの建物の中で作業に入る。まずしたことは、電球の口金の部分をつついて壊し、何とかフィラメントの部分を抜き取って、ただのガラス球に変えること。それが済むと、その中に、水を注ぎ入れる。そして、1人が鏡を持って外に行き、太陽の光をガラス球に当てる。最後に、サマイが盗んできたフィルムをガラス球の前面に上下逆さまに置く(3枚目の写真、矢印はフィルム)。これではうまくいかなかったので〔小さくて何も見えない〕、今度は、ダンボールにフィルムのコマの大きさの四角い穴を開け、そこにフィルムを上下逆さまに貼りつけ、それをガラス球の前に置くことで、今度は成功。白い布の上に男性の顔が大きく映し出される(4枚目の写真)【解説の②】。この原理は、ガラス球を通すことによって、ガラス球〔レンズ〕の数ミリ先に焦点を結ばせ、それが離れた布に達する時には数十倍に拡大され、上下逆さまに映るというもの〔だから、フィルムを上下逆さまに置く〕【解説の①】

最後に、もう一度、母の手の込んだ料理が映る(1枚目の写真)。雨の日なので、傘をさしたサマイは、「何作ってるの? いい匂いだね」と声をかける(2枚目の写真)。「ほうれんそうのラヴィオリ」。「すごいや!」。映画館では、館主が、汚いシミが受け出た壁を業者に見せて、「正面全体を塗り直す必要がある」と話している。一方、サマイは、ファザールに、「母ちゃんのpalak-dhokliだよ。レンズ豆とほうれんほうのラヴィオリなんだ」と言い、ファザールはさっそく包みを広げる(3枚目の写真)。「それに、特製のコリアンダーとミントとタマリンドのペーストが付いてる」。ファザールは至福の顔で、言葉もない【解説の④】。業者は人手不足で職人がいないと言い、3万ルピー〔当時の約5万7600円〕を要求する。館主は、そんな大金を稼ぐには満員で500回の上映が必要だと言って断る。

ある日、突然、駅の周囲で本格的な測量が始まる。一体何事かと心配になった父は、線路の反対側に尊大な顔をして座っている男の前まで行き、低姿勢で 「チャイはいかがですか?」と訊く。男は、隣に座っている部下に、「彼が、チャイ屋か?」と訊き、そうだと知ると、父に向かって、「あんたは、バラモンだね?」と訊く(1枚目の写真、矢印は父)。「はい、そうです」。「なのに、チャイを売っている」と言ったあとで、「手紙を受け取ったかね?」と訊く。「はい。ですが、英語だったので、私には読めませんでした」。「彼らは、広軌の線路を建設しており、列車は電化される。彼らは、あんたのチャイ・スタンドの許可を更新しない。だから撤去しないといけない。閉店だ」。「でも、乗客が欲しがります」。「いいかね、列車はこの駅を通過する。誰も、この駅を使わない〔子供たちの通学はどうなる?〕。分かったかね?」。父は茫然として去って行く。部下は、「あれは不運な男です。500頭の牛を飼っていました。彼の兄たちが彼を騙し、すべてを奪いました。だから、仕方なく、チャイを売り始めたのです」と説明する【解説の⑤】。父は、丘の端に行き、かつては自分の土地だったところに放牧された大量の牛を 呆けたように見つめている(2枚目の写真)。仲間と一緒に池で泳いできたサマイは、それに気付き、父の様子が変なので、心配して見ている。

その後、映画館からフィルムの入った箱が持ち出されて行く。逆に、新しい箱を、ファザールとサマイとで何とか映写室まで運び上げる。そして、ファザールが、「フィルムが変更された」と言う。「ここにある、全部のフィルムが?」。「ああ、全部だ」。それを聞いたサマイは、荷物を持って飛び出て行く。向かった先は、チャラーラの駅。そこの倉庫に運ばれているのは、さっき映画館にあったのと同じ箱だ。サマイは、仲間を集め、「ぼくらは、あの箱を生まれた時から見てきた。だけど、あの箱の1つ1つに フィルムが詰まってるなんて、知らなかった」と教える(1枚目の写真)。「あの箱は、ここからラージコート (Rajkot、人口129万)、ジャームナガル(Jamnagar、人口48万)、バーオナガル(Bhavnagar、人口64万)〔人口は何れも2011年〕のような大都市に持ってかれるんだ」。夜、誰もいなくなると、サマイ達はドアの鍵を壊し、中に忍び込む(2枚目の写真)。そして、箱の1つの鍵を壊すと、中からフィルムの入った円ケースを1個取り出すと、鍵を元に戻し、倉庫から逃げ出す。そして、翌朝、ケースを頭の上に掲げた一団は池の砂州まで行くと(3枚目の写真、矢印)、ケースを開けて中からリールを取り出し、そこからフィルムを引き出して全員で 何が映っているのか見てみる(4枚目の写真)【解説の②】

フィルムの盗難は続き、倉庫から箱が送られた都市では、映画の放映中に、1巻分が抜けて、大事な場面が消えてしまう事件が何度も起きる。怒った観客達は、劇場主に詰め寄り、文句を言うと同時に 返金を要求する騒ぎに(1枚目の写真)。たくさんのケースを盗んだ子供達は(2枚目の写真、先頭はサマイ)、廃村にある大きな建物の中に入って行き、これまでに盗んだケースの上にさらに重ねる(3枚目の写真)〔20個ほどある/フィルム1リールで映写時間は10~15分〕【解説の②】

ここからが本番。子供達は、サマイの指導で、映画を見ることのできる装置を作り始める。ケースの真ん中に穴を開けて、棒に、ケース、リール、ケースの順に入れる(1枚目の写真)【解説の②】。上のリールのフィルムを、下に置いた空のリールに巻いて、手動でフィルムを下に送りながら、懐中電灯で光を当てる。しかし、見えるのは、動いていくフィルムのコマだけで(2枚目の写真、矢印は コマとコマの間の線)、映画のように登場人物が動いてはくれない。子供達からは、「なんにも見えない」「ひどいや」「3キロもムダに運んで来たんだ」との不満が飛び出し、サマイは批判にさらされる(3枚目の写真)。

サマイは、さっそく映写室に行き、ファザールになぜ映画が見れるのか訊いてみる。ファザールは、サマイを小さな窓まで連れて行くと、「スクリーンを見て、すごく早くまばたきして、何が見えるか言うんだ」と指示する(1枚目の写真)。「まっくらになる」。「見えたろ? いいか、ここからが大事だ。映画は、連続して見えてると思ってる。だが、そうじゃないんだ。ホントは、止まってる。1コマごとに。光と映像の間には、光を通さないシャッターがあるんだ」(2枚目の写真)「開いて閉まる。こんな具合に。シャッターは閉まった時にコマが動く。光が当たると、コマは止まる。シャッターが開き、次のコマが止まり、光が当たり、シャッターが閉じ、次のコマに進む。分かったか? だから、スクリーンが暗く見えるんだ。3時間劇場に座ってるバカどもは、1時間は漆黒を見てることなど気付きもしない」(3枚目の写真)〔映像を連続して見ることに最初に成功したのは、エジソンとディクソンが1891年に特許を取得したキネトスコープで「回転シャッター」を採用。現在使われている(ほとんどデジタルに替わってしまったが)映写機のプロトタイプは、リュミエール兄弟が1985年に特許を取得したシネマトグラフで「間欠機構によるコマ送り」を採用。ファザールの説明も、この方法だ。その後、ゲシュタルト心理学者のウェルトハイマーが、この原理を「仮現運道」として1912年に論文発表したが、現在に至るまで “なぜそれが起きるかについての機構” は分かっていない(擬複追従視仮説の検証などの論文がある)〕

サマイが、父のチャイ・スタンドに行き〔侘しい “店” の全景がはっきり分かる唯一のシーン〕、「父ちゃん、なぜぼくの学費を払ってないの?」と質問する(1枚目の写真)。すると、父は、「教えてやる」と言い、スタンドから出ると、棒を取り上げてサマイに向かっていく。この時は、したたか手足を叩かれる(2枚目の写真)。その後、地面に押したおすと、体のあちこちを叩かれる。映写室に行っても災難は続く。サマイが小さな窓から映画を見ていると、突然館長がやってきて、部下に捕まり(3枚目の写真)、外に放り出される(4枚目の写真)。館長は、ファザールが説明しようとしても、「今度あいつをここで見つけたら、お前もクビだ」と宣言。

サマイは仲間を集めると、廃棄物の置いてある場所まで行き、使えそうなものは何でも拾って来る(1枚目の写真)。2枚目の写真は、実際に使うことになったファン(2枚目の写真)〔シャッターの代用品?〕。他に、ミシンの踏み板〔コマ送りをするため?〕などを使い、複雑な装置を作り上げるが【解説の②】、敢えてその全体像はここでは示さない。ただ、どう考えても、こんな原始的な装置で、毎秒24コマの断続静止ができるとは思えない〔回転するファンでシャッターは毎秒24回開いたり閉じたりできるかもしれないが、シャッターが開いている時には、コマは静止せねばならず、それがミシンのゆっくりとして足踏みでは実現できない〕。でも、そこは映画なので、ちゃんとした映像が見られる(3・4枚目の写真)。

チャラーラ駅に警察がやってきて、“紛失したリールに関する苦情がたくさん寄せられ、それらのリールはここの倉庫から盗まれた” ことに対し、調査を行おうとしている(1枚目の写真)。一方、サマイ達は、盗んだ大半は廃村の建物まで運んだが、最後に取り出したケースがいくつかまだ中に残っていることに気付き、サマイは危険を冒して1人で倉庫の中に入って行き、ケースの入った布袋を背負って出て来る(2枚目の写真、矢印は布袋)。しかし、通路の端から一段飛んで降りた時、袋の底が破れ、ケースが1個落ち、衝撃でフタが開き、中のリールが通路の上を 一群の警官の方に向かって転がり始め(3枚目の写真)、彼らのど真ん中まで行って倒れる。

子供達は、隊長の前に並ばされ、「倉庫に入ったのは誰だ? 全員 逮捕されたいか? この盗人ども!」と叱咤されたので、サマイは一歩前に出て、「違います。みんなは行かせて。やったのはぼくです」と、責任を一人で被る(1枚目の写真)〔何と言っても “言い出しっぺ” なので〕。サマイは少年院に監禁される(2枚目の写真)。しかし、そこは色々な音に満ちていた。食事を運び入れる金属トレイを金属コップで叩いたり、ビンの口を吹いて音を出したり、手で床を叩いたり、と。鉄格子の中からでも、サマイはいろいろと学ぶ(3枚目の写真)。

その後、どういう手続きを経たのかは分からないが、サマイは少年院から解放され、入口で待っていた父に引き渡される(1枚目の写真)。自転車の前部に乗せられて家の近くの広場まで連れて帰って来られたサマイは、自転車から降ろされると、しゃがみ込んだ姿勢で、棒で背中を何度も叩かれる(2枚目の写真、矢印)。そこに、母が駆け付け、棒を取り上げると、投げ捨て、サマイを抱き抱えると、夫を睨みつけてから(3枚目の写真)、抱いたまま家に連れて行く。

子供達は、サマイが庇ってくれたことに対する感謝として、全員で、映画館に行き、汚れた壁に、「銀河」の館名に相応しい絵を描く(1枚目の写真)【解説の②】〔大量のペンキはどうしたのだろう?〕。それを見た館主は、感激し、サマイ達を呼び寄せ、「よくやってくれた」と礼を言い(2枚目の写真)、もちろん、全員にタダで映画を見せる。久し振りに映写室に入って行ったサマイは、映写機にキスする(3枚目の写真)。そして、他の仲間達にも映写室の中を見せる。

ある日、父は、あまりに周りが静かなので、スタンドを出て駅舎に行き、誰一人いないことに気付く。そこで、またサマイが悪さをしているに違いないと確信し、棒を持って線路を歩いて行く。すると、音が聞こえたので、廃村の大きな建物の中に入って行くと、拍手が聞こえ、色々な擬音も聞こえる。奥まで行って中を見ると、そこでは大きな布の幕に、映画が映し出されている(1枚目の写真、矢印は棒)。音声はないので、代わりに、サマイが少年院で学んだように、いろいろな方法で、映画に合わせた音を出している。馬が走るパカパカ音は、少年が木片で床を叩く。ビンの口を吹いている少年や少女もいる〔同年配の女の子達も参加している〕。そして、老婆が歌うシーシでは、女の子達が歌い(2枚目の写真)、それに対し、駅長を含めた観客が拍手する。あるシーンでは、誰かが、「彼は、他の女の子に振られた」と叫び、それを聞いた子供達が笑う。全体に、すごく和やかな雰囲気だ。サマイの妹と一緒に来ていた母は、入口に立っている夫に気付くが、何も言わない。3枚目の写真は、全体の光景(矢印は母)【解説の②】。嬉しそうなサマイの背後で、父は、静かに去って行く(4枚目の写真、矢印は父)。

そこに、ファザールからサマイに緊急の電話が入っていると、1人の少年が教えに来る〔この子は、なぜ映画会に参加していないのだろう?〕。少年が電話を受けてから、廃村まで走り、そこからサマイが走って戻ってくるまで、電話はずっとつながりっ放しだった。だから、サマイが受話器を取ると(1枚目の写真)、ファザールが、「破局だ。すぐに来い!」と叫ぶ。サマイは、廃村まで戻ると、仲間を連れて来て〔映画会はどうなったのだろう?〕〔要は、映画会とは別の日の出来事にすべきだった〕、大型のトロッコを人力で走らせ(2枚目の写真)【解説の②】〔この後、押していた2人もトロッコに乗るが、摩擦でいつかは止まるので、映画館のある10キロ先まで、これをくり返すことになる〕。駅からは自転車で映画館まで飛ばすと、そこでサマイ達が見たのは、大切な映写機がクレーンに吊られて運び出される光景だった(3・4枚目の写真)。

サマイに会ったファザールは、「サマイ、見ろ。終わっちまった」と言う。「何が起きてるの?」。「俺は、クビになった」。「どうして?」。「自分の目で見て来い」。サマイが映写室のドアを開けると、そこにあったのは、コンピューターと何かの装置(1枚目の写真)。戻ってきたサマイに、ファザールは 「見たか?」と訊く(2枚目の写真)。「最新のプロジェクターを扱うには、英語を知ってないといかん。お前さん、俺のこと知ってるだろ」。「フィルムはどうなるの?」。すると、トラックが出て行く音が聞こえる。フィルムのケースの入った箱を満載したトラックの後部を5人が一斉に叩き、 「ゴミは廃棄処分だ」と言って送り出す(3枚目の写真)〔左から2人目が館主〕

サマイと仲間は、自転車でトラックを追いかける(1枚目の写真、矢印はサマイ)。最初は街中なので追いかけられたが、郊外に出ると、いくら近道を使っても無理なので、運良く通りかかった仲間の父の “オートバイで2輪の台車を牽いたインドらしい乗り物” に、サマイともう一人が自転車ごと乗せてもらう(2枚目の写真、矢印)〔あとの4人は、村に引き返す〕。そして、3枚目の写真は、ラージコートの高架道路を走るトラックとそのすぐ後ろを走るサマイ達を乗せたバイク(矢印)。

映画は、映写機とフィルムの末路を映す。上下のリールを外された映写機は(1枚目の写真)、鉄の塊として溶かされ(2枚目の写真)、最後は大量のスプーンに変わる。フィルムは茹でられて(3枚目の写真)、筒状のプラスティックの棒になり、切断・研磨されて女性用のバングル(ブレスレット)に変わる(4枚目の写真)。この場面の最後に、サマイは、フィルムの海に飛び込む幻想を見る(5枚目の写真)。先の監督インタビューによれば、このシーンは、ビジュアル・エフェクツなして撮影された。35mmフィルムを探してインド中を探し、撮影場所に集めるのに8ヶ月かかったとか。さらに、フィルムのエッジで肌を切る危険性があったが、サマイ役のバーヴィン・ラバリは5回も飛び降りたそうだ。

ラージコートから直線距離で約90キロ離れたアムレリまで、お金を持たないサマイがどうやって帰ったのかは分からないが、アムレリからチャラーラまでのトロッコには、ファザールも乗っている。彼は、「なんで、俺をチャラーラまで連れてくんだ?」と訊く。「友だちのS.T.の父ちゃんが駅長なんだ。会って欲しい」。チャラーラに戻ったサマイは、バケツの水で体を洗う(1枚目の写真)。そして、壁に「理想的な少年」のポスターを貼る(2枚目の写真)。そして、列車が出て行き、友達が誘っても遊びに行かず、チャイの皿を洗い、それが済むと、父の店の横にあるベンチに座って本を読む。次のシーンでは、サマイがファザールの家まで自転車で迎えに行き、ファザールと一緒にチャラーラの駅まで行く。駅長室で、ファザールは、新しい路線が開通したら駅員に、それまでは倉庫の監視役に任命される。その後もサマイの “いい子ぶり” は続き、それを見た父は、再び丘の端に行き、考え込む。そして、ある日、父に呼ばれたサマイは、髪を撫でられ、「ぼくの髪、嫌いなんでしょ。いっしょに床屋に行って、切ってもらおうよ」とまで言う。

父は、サマイをイスに座らせる。そして、「坊主、お前は なぜ出て行きたいんだ?」と尋ねる。本当のことを言おうか迷った末に、サマイは、「光の研究をしたい」と答える(1枚目の写真)。「光について もっと知りたい。光から物語が生まれ、物語から映画が生まれるから」。「映画を作りたいのか? 本物の映画を?」。サマイは、何と言われるか怖いので返事をしない。父は、「お聞き。S.T.の父さんの前に、別の駅長シャルマがいた。お前が、まだ5つだった頃だ。覚えてるか? 彼は、私の良き友だった」。「うん、父ちゃんのたった一人の友だち」。「彼は今、ヴァドーダラー(Vadodara、人口160万人)に住んでる。私は彼と話した」。「何を?」。「お前のことを」(2枚目の写真)。そう言うと、財布をサマイに渡す(3枚目の写真、矢印)。サマイが中を見ると、お札が入っている。父は、サマイをじっと見て、「出て行き… 学べ」と言う。「ぼくの先生と話したの? ぼくを出て行かせるの? 本気で?」。「そうだ」。「いつ?」。「今だ」。そう言うと、床に置いてあるビニールバッグを指す。「列車が出るまで、あとちょうど14分ある」。「たった14分?」。サマイはすぐ父に抱き着く。それを初めて聞いた母は、急いで弁当を包むとバッグに入れ、サマイは、財布をバッグに入れる。

次のシーンでは、サマイ、サマイの妹を背負った母、父が、駅に向かって走っている(1枚目の写真)。この時、後ろに見えるのがサマイの貧相な家。サマイがプラットホームに着いた時、列車はゆっくりと動き始めていた。サマイは、取り敢えず、彼の体の割には大きなバッグを列車の最後尾のドアに入れると、そのまま乗ろうとするが、考えを変えて走って戻ると母に抱きつく(2枚目の写真)。そして、全速で走って列車のドアの両脇の手すりにつかまり、這い上がる(3枚目の写真)。

1枚目は、列車に上がったサマイから見た両親と妹。2枚目は、悲しそうに別れを告げるサマイ。サマイが乗ったのは、駅の一番後端だったので、その先の駅舎の脇では、ファザールと駅長もサマイを見送る(3枚目の写真)。仲間の少年達も 全員が1人ずつ別れを告げる。最後の子は、鏡の光を投げかける。

サマイは、ドアの横の壁に座り込んで涙を浮かべて故郷の田園風景を見つめる(1枚目の写真、さっきと服が違うのは、上着を脱いで手に持っているから)。そして。涙を拭うと立ち上って客席の方を見ると、そこには女性がいっぱい座っている。変だなと思って振り返って見ると、「女性専用」との表示。サマイは、思わず笑顔になる(2枚目の写真)。このあと、カメラは、乗客の女性のバングルを映し続ける。しばらくすると、サマイの声が入る。「あのバングルは赤と緑。きっと、監督Manmohan Desaiの化身だ。こっちは、Amitabh Bachchanの化身だ」。バングルは映画フィルムを溶かして作ったものなので、その中には色々な監督の想いが込められている。サマイがあげる監督はインド人ばかりだ。途中から監督の声に変わり、スタンリー・キューブリック、アントニオーニ(ミケランジェロ・アントニオーニ)、チャーリー・チャップリン、デヴィッド・リーン、マヤ・デレン、ゴダール(ジャン=リュック・ゴダール)、フランシス・フォード・コッポラ、アンドレイ・タルコフスキー、胡金銓、ヒッチコック(アルフレッド・ヒッチコック)、勅使河原宏、ベルイマン(イングマール・ベルイマン)、フェリーニ(フェデリコ・フェリーニ)、スコセッシ(マーティン・スコセッシ)、張芸謀、デ・シーカ(ヴィットリオ・デ・シーカ)、小津(小津安二郎)、バスター・キートン、スピルバーグ(スティーブン・スピルバーグ)、スパイク・リー、エイゼンシュテイン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)、ジェーン・カンピオン、クリス・マルケル、ジェルメーヌ・デュラック、ヴェラ・ヒティロヴァ、タランティーノ(クエンティン・タランティーノ)、黒澤(黒澤明)、ウェルトミューラー(リナ・ウェルトミューラー)、キャスリン・ビグロー、ホドロフスキー(アレハンドロ・ホドロフスキー)の名前があがる。

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